本格的稲作の開始 〔稲作・農業・女性〕
紀元前3世紀ごろから、本格的な水稲耕作と鉄器使用が始まり、九州から東北地方まで短期間に伝播していった。
男性は起耕から導水までを、女性は種播き・草取り・稲刈り・脱穀などをそれぞれ分担した。
生産が発展し余剰生産物が生まれると地域的不均衡が生じ、富や土地などをめぐって戦争が始まり、銅剣や銅矛などの武器がつくられた。
また、数棟の竪穴住居や倉庫からなる集落には堀や土塁がめぐらされ、瀬戸内海地方では戦のための高地性集落も多くみられ、戦死者の人骨も多い。
集団間の戦争により貧富の差が集団の差として出現し、集団を統括する首長が出現したことは、舶来武器や勾玉などの装飾品を副葬する集団墓地などから判明する。
弥生後期になると、多量の装飾品を副葬する巨大な甕棺に葬られた個人墓=王墓がみられるが、中国の歴史書『魏志倭人伝』に、3世紀前半に約30の国からなる倭国連合を邪馬台国女王卑弥呼が統括したと記されており、女性首長がかなりいたとされている。
従来、卑弥呼は呪術祭祀担当、男弟は行政担当と解されてきたが、卑弥呼が外交権を掌握しており、男女が対で王権を相互に担うヒメ・ヒコ制であったとされている。
男性は起耕から導水までを、女性は種播き・草取り・稲刈り・脱穀などをそれぞれ分担した。
生産が発展し余剰生産物が生まれると地域的不均衡が生じ、富や土地などをめぐって戦争が始まり、銅剣や銅矛などの武器がつくられた。
また、数棟の竪穴住居や倉庫からなる集落には堀や土塁がめぐらされ、瀬戸内海地方では戦のための高地性集落も多くみられ、戦死者の人骨も多い。
集団間の戦争により貧富の差が集団の差として出現し、集団を統括する首長が出現したことは、舶来武器や勾玉などの装飾品を副葬する集団墓地などから判明する。
弥生後期になると、多量の装飾品を副葬する巨大な甕棺に葬られた個人墓=王墓がみられるが、中国の歴史書『魏志倭人伝』に、3世紀前半に約30の国からなる倭国連合を邪馬台国女王卑弥呼が統括したと記されており、女性首長がかなりいたとされている。
従来、卑弥呼は呪術祭祀担当、男弟は行政担当と解されてきたが、卑弥呼が外交権を掌握しており、男女が対で王権を相互に担うヒメ・ヒコ制であったとされている。
update:2010年02月23日
